邪馬台国とは何か。倭国とは何か。

まず、この基本的な認識がどうなのであろうか。

魏志倭人伝には、『倭国の女王卑弥呼』と明記されています。『邪馬台国の女王』ではない! 邪馬台国というローカルな女王ではなく、倭国内30カ国連合の女王なのです。それは、近畿地方から九州本土全域・壱岐対馬・狗邪韓国に至る広域の国を治めた女王だと捉えるのが当然でしょう。その30のクニの首長が、『共立した』女王なのですから、このことは、倭人統一国家に向けて第一歩を歩み出したことになります。倭国大乱を収めた卑弥呼の力を民は大いに支持したのではないでしょうか。卑弥呼が亡くなった後、男王が立っても混乱が生じ、台与が立ってやっと鎮まったという記述からも、卑弥呼あるいは宗女台与への民の信望の厚さが伺えます。

私は、卑弥呼の母が、太陽信仰の基盤を作ったと考えています。銅鏡が重んじられることになったのは、太陽信仰と稲霊信仰が根底にあると捉えます。その際、日神への祈祷の在り方(=鬼道)は、子である卑弥呼へ、さらに宗女台与へと引き継がれ、その後、古墳時代の王権にも影響を与えたのでしょう。勾玉、銅矛への信仰と相まって、権威の象徴となったのは、太平の世、いくさのない世を望んだ民の思いの支えが在ったからです。